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落語『黄金餅』に学ぶ?江戸っ子の「金」への執着と、現代にも通じる究極の資産防衛術

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落語『黄金餅』に学ぶ?江戸っ子の「金」への執着と、現代にも通じる究極の資産防衛術

古典落語の名作『黄金餅(こがねもち)』をご存じでしょうか。貯め込んだ金子をあんころ餅の中に入れ、飲み込んで隠した強欲な僧侶の話ですが、この笑い話の中には「金は死んでも手放したくない」「火事や災害でも燃えない最強の資産」という当時の価値観が見え隠れします。今回は、落語や時代劇から見る日本人とゴールドの切っても切れない関係をご紹介しましょう。

なぜ金を餅に?どうしても手放したくない“資産”としての金の価値

『黄金餅』は江戸落語のひとつで、三遊亭円朝が作ったとされています。裏長屋に住む僧侶・西念(さいねん)はとてもケチで医者にかかる費用も渋る有様。しかし病を患っていた西念は寝込んでしまい、そこへ隣に住む金兵衛が見舞いに来ます。「なにか食べたいものはあるか?」と聞く金兵衛に、「あんころ餅が食べたい」と答える西念。金兵衛はあんころ餅を買ってきてあげましたが、西念は人が見ている前では食べられないといいます。

西念の言動が気になる金兵衛は、自分の部屋の壁に穴を開けて様子を伺いました。すると西念が、あんころ餅の中に金を入れて飲み込んでいるではありませんか。その後西念が餅を喉に詰まらせて死んでしまうと、腹の中の金子を独り占めしようと画策し、西念の亡骸を寺の焼き場で火葬にしました。そして骨上げで手に入れた大量の金を元手に“黄金餅”という店を出し、大層繁盛したというのが噺の内容です。

江戸時代の貨幣には大判・小判のような金貨と、丁銀・豆板銀のような銀貨がありました。西念は小判よりも小さな“二分金”や“一分銀”を貯め込んでいて、それを餅に隠して飲み込んだようです。

小判1枚=1両。たった1枚でも、当時の庶民にとっては一生見ることがなかったほどの価値があります。また「小判十両で首が飛ぶ」といわれ、十両盗むと死罪になるほどの大金にあたりました。二分金は小判の半分の価値なので、それだけでも相当の財産。せっかく貯め込んだ大金を誰の手にも渡したくない……そんな僧侶の思いも、金の“燃えない”という性質で水の泡となってしまった皮肉な噺です。

「埋蔵金伝説」が日本各地に残るワケ…銀行がなかった時代の資産の保管方法

日本では歴史的・金銭的価値のある「埋蔵金」が発見されることがあり、たとえば1963年には東京で江戸末期の酒問屋・鹿島清兵衛の埋蔵金が見つかりました。埋蔵金は当時の価値で6,000万円にもおよび、清兵衛の子孫に返還されたということです。

また、現在も見つかっていない埋蔵金伝説が各地に残されていて、なかでも「三大埋蔵金」と呼ばれているのが「豊臣秀吉の埋蔵金」「徳川埋蔵金」「結城晴朝の埋蔵金」。とくに徳川埋蔵金はテレビでも取り上げられ、一躍有名になりました。ちなみに豊臣秀吉の埋蔵金は現在の価格でおよそ200兆円、結城晴朝の埋蔵金は1.8兆円、徳川埋蔵金は約20兆円あるといわれています。

度々世間の注目を浴びる「埋蔵金」ですが、ではなぜ当時の権力者やお金持ちたちは財産を地中に埋めたのでしょうか。理由として、当時は銀行のように金銀を安全に管理できる金庫がなかったということが考えられます。そのため、再び取り出すことを前提にして地中に埋めるのが最も安全な管理方法だったのでしょう。

埋蔵する理由は「富を誰にも渡さないため」や「盗難防止」、「貯蔵・貯蓄」などさまざま。しかし保管場所が焼けてしまったり、埋蔵したものを掘り起こす前に没落・死亡してしまったりといった理由によって、そのままになっているものが「埋蔵金」として語り継がれているのです。

ちなみに埋蔵金を見つけても、こっそりと自分のものにしてはいけません。埋蔵金は「遺失物」と同じ扱い。道で拾った財布などと同様、発見したら速やかに警察署に届け出ないと罰せられる可能性があるため、注意しましょう。

「袖の下」の語源は江戸時代にあり…時代劇の悪代官が「山吹色のお菓子」を好む心理的理由

時代劇のなかで、「山吹色のお菓子」と呼ばれる賄賂の受け渡しシーンを見たことはないでしょうか。もちろん、純粋にただお菓子を渡しているわけではありません。山吹色=黄金色の小判をお菓子の下に隠し、悪代官に手渡していたのです。

いまの時代では、金銭的な賄賂を政治家が受け取っていることが公になれば大問題に発展します。江戸時代でも大っぴらに受け取ってはいなかったと思われますが、実際は商売上の便宜を図ってもらうためなどの理由で、賄賂は行われていました。商人・町人と武士のあいだの潤滑油の役割も果たしていたため、賄賂のやりとりは暗黙の了解として行われていたようです。人目につかないよう着物の袖から渡していたことから、現代においても賄賂を指す「袖の下」の語源となったという説もあります。

実は当時の役人の多くは薄給で、俸禄(ほうろく)だけの暮らしは楽ではありませんでした。そのため賄賂は、彼らにとって大きな収入源になっていたのです。なにしろ家族を養うだけでなく、幕府から与えられた住居の維持費や下働きの給金なども自身の稼ぎから出さないといけないからです。

「“役得”として賄賂をもらってなにが悪い」と当時の役人が考えたかはわかりませんが、賄賂を受け取らないと暮らしが回らない実情もあったのでしょう。また、商人や町人から「付け届け」という形で賄賂を受け取ることは、自分のほうが上の立場だという証にもなっていたのかもしれません。賄賂は生活の足しになるという金銭的価値に加え、権力の誇示や“金をもっている”ことへの安堵感など、心理的なメリットもあったのではないでしょうか。

形を変えても価値は変わらない…「普遍性」こそ、金の魅力

もちろん、金も投資商品の一つですから、市場価格は日々変動します。需要と供給のバランスが崩れれば、価値が下がる局面も当然あります。しかし、現金との決定的な違いは、金そのものに「固有の価値(実物資産としての価値)」があるという点です。

国という信用が裏付けとなっている現金は、最悪の場合、紙切れ同然になってしまうリスク(ハイパーインフレーションなど)を孕んでいます。一方、金は埋蔵量に限りがある希少な金属です。そのため、たとえ価格が下がったとしても、価値が完全にゼロになることはまず考えられません。

いつでも、どこでも、一定の価値を持つ「普遍性」。そして、西念のように餅に包んで飲み込んでも、あるいは地中に数百年間埋められても錆びずに残り続ける「不変性」。この二つの特性があるからこそ、金は古今東西、混乱期における究極の「守りの資産」として君臨し続けているのです。

落語や時代劇に登場する人々が、必死に金を隠し、守ろうとした姿。それは単なる強欲の表れではなく、いつの時代も変わらぬ「実物資産への信頼」の証といえるでしょう。資産の形がデジタル化する現代においても、このアナログで頑丈な「黄金」の魅力が色褪せることはありません。

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