イベントレポート

「長嶋茂雄お別れ会」に参加してきました

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ミスターから受け取った感動と活力

東京ドームで開催された『長嶋茂雄お別れ会』という特別なイベントに参加してきました。

私にとって、長嶋茂雄氏は単なる野球選手という枠を超え、人生の一部でした。その偉大な存在に最後のお別れを告げ、そして何よりも、彼の残したエネルギーを肌で感じることができた貴重な一日となりました。

会社の福利厚生「芸術鑑賞会」で実現!

今回のお別れ会への参加は、当社の福利厚生制度である芸術鑑賞会を通じて実現しました。

当社の芸術鑑賞会は、社員それぞれが希望したものを選択して鑑賞できる柔軟な制度となっており、ミュージカル鑑賞、スポーツ観戦(今回のように)、能、歌舞伎、フルオーケストラのコンサートなど、その内容は多岐に渡ります。また、社員のご家族も一緒に参加できる機会があることも特徴です。

こうした多様なイベントを通じて、社員の知的好奇心や活力を高める機会を提供してもらっています。今回、この制度のおかげで、長嶋茂雄氏という偉大な存在に感謝を伝える貴重な機会に恵まれました。

世代を超えた長嶋茂雄氏の偉大さ

私の人生を変えたミスターの輝き

私が長嶋氏を初めて意識したのは、小学生の頃です。父が大の野球好きだったため、当時からテレビでプロ野球の試合を観戦していました(ちなみに父は熱烈なドラゴンズファンでしたが…)。

その時、画面の中でひときわ眩しいくらいにカッコよく光り輝いていたのが、長嶋選手でした。その天性のスター性、常に全力でベースを回る姿に魅了され、私は大ファンになりました。当時、長嶋選手の走り方をよくマネをしていたのを昨日のことのように鮮明に覚えています。

まさに「天性のスター」とは、この人のことを言うのだと心底思います。

アンチ巨人だった父も魅了した

天性のスター

実は私の父は、筋金入りのアンチ巨人でした。しかし、それでも長嶋茂雄という存在だけは特別だったようです。

「長嶋が打ってジャイアンツが負ければいい」とよく言っていた父の言葉は、長嶋氏の偉大さがチームの垣根を超えていた証拠ではないでしょうか。

「永久に不滅です」から半世紀

記憶に刻まれた感動の名シーン

そんな偉大さを持つ長嶋茂雄氏が引退されたのが1974年。「『我が巨人軍は永久に不滅です』という言葉を残して…」というのはあまりにも有名です。

しかし、この引退セレモニーで私の記憶に最も鮮明に残っているのは、スピーチの内容ではありません。

盟友である王選手と固く肩を組みながら、ベンチに引きあげていくシーンです。あの光景を思い出すと、今でもジーンと胸が熱くなります。あの二人の姿は、単なる引退ではなく、一つの時代の終焉と、伝説の始まりを告げる瞬間だったのだと思います。

監督としての日本一

壮絶なリハビリから得た教訓

現役引退後も、監督としてチームを率い、日本一に輝いた際の銀座パレードの華々しさは、多くの人の心を熱狂させました。

そして、病に倒れてからの壮絶なリハビリの道のり。弱音を吐かず、常に前を向く姿勢は、私たちに勇気を与え続けてくれました。常にまわりの人達を明るくさせてくれるあのパワーは、ビジネスパーソンとしてぜひ見習いたいと常日頃思っています。

溢れる人々のパワーと「ミスターらしさ」

今回、お別れ会という形で再びミスターに会うことができ、会場で多くの人々の熱気や感謝の気持ちに包まれました。

その場にいるすべての人から、ミスターの生き方や功績に対するリスペクトが溢れているのを感じました。 このイベントに参加して、たくさんのパワー活力をいただきました。

この活力を仕事へ!

お客様に楽しんでいただくための精進

長嶋茂雄さん、今まで本当にありがとうございました。

天国でも、その不滅のパワーでみんなを楽しませてあげて下さい!

長嶋氏がそうであったように、常に周囲を明るくし、感動を与えられる存在でありたい。この活力を活かし、お客様にも心から楽しんでいただけますよう、社員一同、さらに精進してまいります。

長嶋茂雄という偉大さは、これからも私たちの心の中で永久に不滅です。彼の残したレガシーに深く感謝し、心よりご冥福をお祈りいたします。

今回、人生の節目となる貴重な体験ができました。社員の個性と感動体験を大切にする当社の制度に感謝し、この充実した環境で、今回得た活力をもって日々の業務に邁進してまいります。

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